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2班の活動

第2班2013年度国内ワークショップを開催しました。

多文化社会における言語教育 ―日本の外国語(英語)教育について考える―

2班の活動
2014/03/06
多文化社会における言語教育
―日本の外国語(英語)教育について考える―
 
◆日 時:2014年1月26日(日) 11:00~17:30
◆場 所:龍谷大学 瀬田学舎 智光館 地下B103共同研究室
◆参加者:30名(滋賀・京都・大阪近郊の小中高等学校の現職英語科教職員の先生方他)
 
【プログラム】
 
開会のご挨拶                  松村省一(龍谷大学国際文化学部教授、アフラシアセンター第2班班長
 
ワークショップ1
「日本の英語教育事情」             高桑光徳(明治学院大学教養教育センター教授、第2班研究員)
                        ジュリアン・チャプル(龍谷大学国際文化学部准教授、第2班研究員
ワークショップ2
「小学校外国語活動における教授法」       長嶺寿宣(熊本大学教育学部准教授、第2班研究員)
「スマホ、タブレットを使った英語学習の可能性」 八幡耕一(龍谷大学国際文化学部准教授、第2班研究員)
 
ワークショップ3
 「イラン・トルコの英語教育」          李洙任(龍谷大学経営学部教授、第2班研究員)
「グローバル化と英語教育政策―韓国からの示唆」 脇田博文(龍谷大学国際文化学部教授、第2班研究員)
 
閉会のご挨拶                  脇田博文(龍谷大学国際文化学部教授、第2班研究員)
 
【ワークショップ概要】
 
 第2班では、アフラシアのプロジェクトの締めくくりにあたり、これまでの研究成果を教育現場の先生方に還元することを目的として、滋賀・京都・大阪の小中高等学校の現職英語科教職員を対象とした国内ワークショップを企画した。当日は多くの英語科教職員の先生方にご参加いただき、ゲームやグループ・ディスカッションなどを交えた双方向型のワークショップとなった。
 
 ワークショップ1「日本の英語教育事情」(高桑光徳氏、ジュリアン・チャプル氏)は、「日本人に英語は必要か?」という問いかけとディスカッションから始まった。グローバル化の時代、企業において英語力が必要とされるというある種の思い込みに対し、将来「英語公用語」企業に入社する児童生徒の割合はわずか0.18%に過ぎないと数字で指摘。その上で、英語の早期教育化促進政策が大企業を中心とする財界からの要請で進められていることを批判し、全ての日本人の英語力を政府与党や財界が求めるレベルまで引き上げる必要はないのではないかと投げかけた。むしろ、英語教育一辺倒の施策は、いわゆる「内なる国際化」に対応した人々の対話可能性の幅を狭め、また日本語も英語も母語ではない子どもたちを取り残す結果をもたらすと指摘し、0.18%のために青天井の英語教育を行うことの弊害が示された。英語教育については、学習者の「現実的なニーズ」に合わせたレベルを目標とし、また同時に、英語だけが外国語ではないという視点を身につけさせるべきであると締め括った。
 
 ワークショップ2の第1報告「小学校外国語活動における教授法」(長嶺寿宣氏)は、小手先の指導テクニックの伝授ではなく、教育実践を根底から変えてしまうような、教師の認知(指導観・教育観)の修正を促すセッションであった。「聞く」「話す」が中心になる授業は、従来の「読む」「書く」を中心とする授業からはイメージしにくく、掴みどころがない。教師は往々にして、「読む」「書く」を中心とした従来の授業イメージや受験英語の指導法に引きずられがちである。例えば、語彙の学習では、「駅=station」というように、日本語一語と英語一語を対にして指導し、また記憶させる傾向がある。だが実際には、人間は言語をそのような形で習得しておらず、特に語彙習得については、他者とのインタラクションの中で一語の概念を少しずつ修正しながら適切な意味範疇を構築していく。したがって、教師が一方的に教え込むのではなく、意味範疇の構築が促されるような言語活動を授業に取り入れたい。また、英文法指導は「べき思考」に染まりがちだが、文法には受験文法以外にも様々な文法があり、英語母語話者の文法(記述文法)は可変的である。参加者は英語を使ったゲームなどを体験。長嶺氏は、児童の認知・思考に刺激を与え、成長を促すような活動を取り入れるなど、「べき思考」から脱却した授業準備・実践を心掛けてほしいと述べた。
 
 第2報告「スマホ、タブレットを使った英語学習の可能性」(八幡耕一氏)では、まず小中高校生の携帯電話とスマートフォンの普及率が示され、小学校でも27.5%が携帯電話を利用していることが指摘された(うちスマホ率は7.6%)。さらに小学校低学年のネット利用経路をみると、パソコンよりスマホの利用者が増大しつつあり、今後子どもたちがスマホやタブレットを日常的に使用するという状況はますます一般的になることが予測される。スマホやタブレットは、持ち運びが容易で、アプリを通じて利用可能性が広がり、操作も容易で、4技能(読む、聞く、話す、書く)に対応しているという特長をもつ。これらの特長により、スマホやタブレットはこれまでにない英語学習のツールとなる可能性をもっている。具体的には、「外国語学習を目的としたアプリの利用」と、「外国語学習を目的としないアプリやコンテンツの利用」があり、後者にはエデュテイメント(education+entertainment)系アプリやソーシャルメディアも含まれる。それぞれのメリット・デメリットを知った上で活用すれば、小学生の英語学習にも極めて有用であると八幡氏は述べた。
 
 ワークショップ3「諸外国の英語教育事情」は、諸外国の英語教育事情を通して、言語(教育)政策としての英語教育に埋め込まれている様々な背景や意図を考えるとともに、日本の英語教育の課題や方向性を相対化する視点を構築することを目的として行われた。
 
 第1報告「イラン・トルコにおける英語教育」(李洙任氏)では、イスラム圏の英語教育を取り上げ、イスラーム文明圏がどのようにキリスト教文明圏と関係を構築・発展しようとしているか、どのようにグローバル化へ対応しようとしているのかを考察した。イランでは、英語は「敵国語」であり、検定教科書ではヴェールをかぶった女性や労働者の搾取などが描かれており、西洋諸国を批判する内容となっている。一方で、技術革新のために英語力を強化しようともしており、一般の人々は独自のテキストなど教育資源も十分でない中で学習し、成果を上げている。You Tubeやフェイスブックは禁止されているが、ほとんどの家庭で利用されている。一方、トルコでは、アタテュルク初代大統領による脱イスラム入欧路線の強力なリーダーシップのもと、アラビア文字からアルファベットへの言語改革が遂行された。その後、国力増強のため外国語教育は必須とされ、英語も国内の技術発展を遂げるための不可欠な教育と位置づけられた。今日でも、トルコにおいて英語力は労働市場に直結している。イスラーム圏に属しながら西欧文明との対話・共存を目指すトルコの政治的施策は、言語を「共存のためのツール」とみなす英語教育のあり方にも深く影響を与えており、トルコにおける英語の役割は今後ますます重要になると李氏は述べた。
 
 第2報告「グローバル化と英語教育政策―韓国からの示唆」(脇田博文氏)では、近年の日本と同様に、グローバル人材の育成を目的として行われている韓国の英語教育政策を取り上げ、その課題と日本への示唆を述べた。日本に比べ、貿易依存度が極めて高い韓国では、グローバルな競争を生き抜く人材の育成に対する緊急度が日本より遥かに高く、英語教育政策は日本と似ているようで、そのスタンスは全く異なる。韓国社会において英語力は社会的ステータスと直結し、英語教育はますます過熱化している。また、政治におけるトップダウンの政策決定方式がそれを一層助長している。一方で、英語教育における世帯格差や地域格差は拡大し、また、英語スキル偏重のため多文化理解という概念は不足しているといえる。日本も、いわゆる英語帝国主義に対し、少数派の言語話者としてどのように向き合うかという問題に直面している。外国語教育政策を考える際、政治経済からの要請、教育の論理のほかに、人的交流や共生といった視点が重要である。この視点が欠落したまま現行の英語偏重の政策を押し進めると、後戻りできない危機的な状況に陥ると脇田氏は締め括った。
 
 全体のディスカッションでは、参加した先生方から、現場の混乱を伝える悲痛な声が多く挙がった。今回の政府による英語教育政策の転換がどのような生徒の育成を目標としているのか見えてこない、日本の教育政策はこれまでの評価や検証、総括をせずに方針を変えてしまう、マスコミが政府の教育政策を批判・検討しない、多文化教育は必要だが受験という現実がある、日本語を母語としない児童生徒の日本語指導はボランティア頼みではなく国の予算をつけるべきである、等々である。2班の研究員からは、このワークショップをきっかけに、同じ思いを共有する人々がネットワーキングを図っていくことが地道だが大切であるといった意見が述べられた。
 
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