• 新着情報
  • ご挨拶
  • アフラシア多文化社会研究センターとは
  • 目的・特色
  • プロジェクトの概要
  • 研究体制
  • アクティビティ
  • 国際シンポジウム
  • ニュースレター
  • 出版物
  • 公募研究
  • 関連記事
  • リンク
  • アクセス・連絡先
  • 諸規定・その他

2005~2009年度
アフラシア平和開発研究センターのサイト

アクティビティ

  1. トップページ
  2. アクティビティ
  3. 詳細

1班の活動

第1班2013年度国内ワークショップを開催しました。

1班の活動
2014/01/14

2013年度 第1班ワークショップ 研究セミナー
ホスト社会と移住民 

-先住民の視点から-

 

報告者:親川志奈子氏(オキスタ107 共同代表)

「琉球におけるセトラーコロニアリズム -沖縄島のキャリア教育、言語復興、住民運動のケース-」


報告者:佐藤千鶴子氏(JETRO・アジア経済研究所 研究員)

「南アフリカにおける先住民運動 -ケープタウンのネオ・コイサンを中心に-」

 

日時:2013年12月21日(土) 10:00~12:00
場所:しまんちゅスクール/琉球館 2階 

 


 第1班は2013年12月20日から22日にかけて、沖縄県にてワークショップを開催した。今回のワークショップでは、沖縄を中心とした人の移動が沖縄社会にどのような影響を生み出しているのかについて理解を深めることを目的としていた。


 沖縄県庁では多文化共生推進のための沖縄県の取り組みと、海外の沖縄県人会とのつながりや県としての政策について学び、世界若者ウチナーンチュ連合会代表の玉元三奈美氏からは、世界5大陸の持ち回りで開催する「世界若者ウチナーンチュ大会」の設立に至る経緯や活動実績、沖縄にルーツを持つ若者のネットワークの展開についてお話を聞くことができた。ワークショップではまた、「ホスト社会と移住民-先住民の視点から-」というテーマでセミナーを行い、オキスタ107の親川志奈子氏と第1班研究員の佐藤千鶴子氏に報告をしていただいた。


 親川氏は、沖縄での言語復興の取り組みを中心として、沖縄の人々のアイデンティティと日本人移住者の植民地主義(セトラーコロニアリズム)について話をした。奄美から与那国にかけて話されていた琉球諸語は、日本語の方言として扱われる中で衰退してきたが、その背景には、琉球処分による政治的地位の変化、沖縄戦による人口減少、標準語励行や方言札といった日本政府による同化政策などによって、母語の継承が阻害されてきた歴史があるという。その結果、今では沖縄人が自らの社会を、日本語に翻訳された歴史や文化を通してしか知ることが出来なくなっている。言語復興は先住民が自らの世界観を取り戻し、自らの言葉で自らの社会を語ることができるようになるための運動なのだという。

 親川氏はこうした言語の問題は、経済問題とも密接にかかわっていると見る。戦前の軍隊教育や復帰前の内地就職の訓練でも標準語への矯正が行われ、それはシマクトゥバの衰退を後押ししただけでなく沖縄の人々の中に自己否定的な意識も生み出した。現在でも、大学でのキャリア教育やインターンシップでは「沖縄の人は言葉が下手、敬語が出来ない、遅刻が多い」などのように日本人移住者から沖縄の言語と文化を否定する言葉を突き付けられることもあり、それは沖縄の若者にとって精神的ストレスとなる。就職のためという名目のもとで同化政策や標準語励行が継続していると捉えることが出来る。

 また、言語復興運動においても日本人移住者との関係は力関係として現れる。たとえば日本人移住者から、シマクトゥバの復興は支持するが、自分の子供には関係ないのでシマクトゥバが学校教育に取り入れられるのは困ると言われたり、集会などで実験的にウチナーグチを使うと、自分には分からないから訳してくれと言われたこともある。また別の機会には、自分が沖縄の若者にシマクトゥバを教えてあげようという移住者もいた。だがこの関係性はおかしいのではないだろうか。実際、国連ではアイヌと琉球人は自分たちの言葉を教育課程に取り入れる機会があるという勧告も出ている。だが日本ではこの勧告が無視されており、シマクトゥバの復興は沖縄人の責任とされているだけでなく、復興のための運動が起ころうとする流れを遮る役割を、日本人移住者が果たしてしまっている状況がある。また「ウチナンチュ」にたいして「ヤマトンチュ」という言葉を使うことを「逆差別だ、ヘイトスピーチだ」と言う人もいる。だが、これらを日本と沖縄という植民地主義の構造に基づく問題として認識し、そこから互いに対等な関係を築いてゆくことが必要だと親川氏は述べた。


 続いて佐藤氏は、1994年のアパルトヘイト撤廃後に南アフリカの西ケープ州のいわゆる「カラード」の人々の間で、「先住民」としての「コイ」または「コイサン」アイデンティティを主張する人々が登場した背景を論じた。佐藤氏によると、17世紀の白人入植以降の人種的混交によって出来た「カラード」というカテゴリーの人々は、特権階級(=白人)にも被抑圧者階級(=黒人)にも同一化できない位置に置かれてきたという。80年代の解放闘争では黒人と連帯していたが、民主化後は賃金や昇進などで黒人から差別を受けていると感じていたカラードの人々の間で、「カラード」というアイデンティティの否定と、自分たちのルーツ・帰属としてのコイサンアイデンティティが主張されるようになる。

 こうした、民主化後に「先住民」としての地位と権利を主張する人々が、ネオ・コイサンと呼ばれる。(コイは白人到来以前からケープ地方に住んでいた褐色の牧畜民で、サンはコイより前に同地域に居た狩猟採集民を指したコイによる蔑称。コイサンは両者を指す集合名詞で、ネオ・コイサンは特に民主化後にコイサンアイデンティティを主張する集団を指す。)彼らによる先住民運動では、憲法における「先住民」としての地位承認や土地に対する権利、言語や文化の回復と保全が目指された。だが、先住民運動にも問題は少なくなく、「先住民」の地位をめぐってのバントゥー系アフリカ人との対立や、コイサン集団、先住民運動内部での分裂などに直面しているという。

セミナーの様子.JPG

研究セミナーの様子

 

沖縄国際大学にて.JPG

沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場にて

 

久米・福建園にて.jpg

那覇市久米地域の福州園にて

  • 前の記事へ
  • 記事一覧へ
  • 次の記事へ