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3班の活動

第3班2012年度第5回研究会を開催しました。

3班の活動
2013/02/28

3班の活動

2013/1/8

 

 

 

  

西田幾多郎の政治哲学とそのインプリケーション:

技術・統治・世界秩序

 

 

報告者: 川村 覚文

(オーストラリア国立大学アジア太平洋学院文化歴史言語学部博士候補生。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、ロンドン大学ゴールドスミス校にてコミュニケーション・文化・社会論専攻修士号取得。専門は、政治哲学、日本思想史、ポストコロニアル研究。テッサ・モーリス=スズキ教授の指導の下、博士論文Nishida Kitaro's Political Philosophy:Wartime Japan and the Empire of Governmentalityを提出。) 

 

討論者: 清水 耕介

司 会: 本多  善

 

 

◆開催日時:2013年1月8日(火) 17:00~18:30

◆開催場所:龍谷大学瀬田学舎 智光館B103-104共同研究室

◆参加者:清水耕介、ウィリアム・ブラドリー、シルヴァン・カルドネル、大瀧正子、朴伸次、櫻井想、嶋田ミカ、本多善、院生、他(順不同、敬称略)

 

【概要】

川村覚文氏は 「西田幾多郎の政治哲学とそのインプリケーション」をテーマに、西田幾多郎が展開した政治哲学を3つのポイント(技術・統治・世界秩序)から報告した。西田の政治哲学は1930年代~40年代において展開され、西田を巡る現在までの議論は、ほぼ「戦争協力をした」あるいは「戦争に抵抗する議論をした」とする二項対立的なものであった。川村氏は「協力」「抵抗」のどちらかに西田を位置づけるのではなく、彼の議論には双方の意図があると主張する。具体的には、西田自身、合理的でない国體の形成には懐疑的であり、「非合理的国體」に対する「抵抗」として議論を展開している。その一方で、「合理主義的な国體」については、国體を強化するイデオロギーを率先して展開している。そこで川村氏は西田が展開した合理的な思考について、詳細に説明を加えた。

1.技術

西田は社会の内部において合理的な文化が形成され、その文化に従った形で形成されるのが合理的国家であると位置づけた。彼にとって合理的な文化形成そのものが国家存在の理由であった。文化の合理性はある一定の社会において形成されるものであり、更に日本という国體の基盤となる合理性を「絶対矛盾的自己同一(主体と主体、私と他者が対等な関係として万物を捉えること)」の原理に求めようとする議論を展開した。合理的な国家を構築すること(或いはポイエシス(制作)すること)には、必然的に技術(テクネ―)が伴うとする西田の議論を説明した。

2.統治

次に川村氏は、主体化がどのように主導されてきたのかをフーコーの統治性から説明した。フーコーはGovernmentという言葉を主体の導きであるとした。自己を統治するためには技術(テクネ―)が必要であり、自己の統治とそのための技術(テクネ―)は既に古代ギリシャにおいて考えられていた。しかし、マキャベリ以降、統治と技術(テクネ―)の概念は、全く異なるものとして理解されるようになった。それは近代国民国家構築へと直接的に結びつくような主体化の方法である。近代以降、自己が何たるかについて国家は積極的に規制するようになり、人々を国民化へと導くようになった。そして国民化を合理的に導く方法(統治術)が導入され、新たな統治概念が誕生したとフーコーは分析する。川村氏はこれらのことから、西田が議論を展開した「絶対矛盾的自己同一」という政治原理による国民化も、フーコーが明らかにした統治の権力作用と同様の方法で展開されてきた点を指摘した。

3.世界秩序

次に川村氏は、西田哲学における諸国家間の議論について説明した。西田は世界の秩序化のためには、主権国家の形成に限らず、国家間関係においても「絶対矛盾的自己同一」の原理を定着される、或いは媒介される状況が必要であると主張した。具体的には西洋と東洋の対等なコミュニケーションが必要であり、西洋、東洋における各々の諸国家間においても内在的な合理性に基づくコミュニケーションが必要であると主張した。西田はまた、対等なコミュニケーションが存在しない主権的主体(国家)による他の主権的主体(国家)への抑圧に対しては批判的立場をとる。しかし川村氏は、西田が主張する対等な国家間関係においても、前述した導きの権力作用が生じてしまうと指摘した。例えば国家間のコミュニケーションの中で、先に対等な関係性を導いた国家が存在すれば、新たにその国家(対等なコミュニケーション能力を持つ国家)が権力を行使することになる。このことは結局のところ、ポスト植民地主義的帝国の台頭ということに繋がってしまうと川村氏は危惧する。実際に、西田は世界新秩序の原理において、日本がそうあるべきだと主張している。西田自身、日本には「絶対矛盾的自己同一」を世界的に伝える指名と役割があると主張する。世界新秩序においても日本がその役割を十分に果たせるであろうとする国體論に結び付けて西田が議論を展開している点を川村氏は明らかにした。

 

川村氏は最後に西田の同時代的、或いは現代的な議論を紹介した。西田と同時代に彼の議論を展開した蝋山政道の科学を前提とする福祉国家及び生(命)ー政治(Bio-politics)を巡る政策論や三木清の技術論、或いは現代における政治・社会思想を巡る議論を紹介した。

 

報告を受けて討論者の清水氏からは、西田の議論は文化というチャンネルを通して新たな主権概念を生み出したのではないか、また西田の議論において個人(或いは市民社会)をどう位置づけるのかという質問が出された。会場ではこの質問に関連して、社会秩序を個人が受け止める際の問題について積極的な議論が成された。その一方で西田哲学が政治的と言えるかどうかといった質問も出された。西田を読む際の解釈の仕方、或いは西田の書物とそれらの時代背景についても議論された。

 

DSC_0129.JPGDSC_0138.JPGのサムネール画像

 

 

 

 

 

 

 

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