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1班の活動

第1班2012年度第1回研究会を開催しました。

1班の活動
2012/07/31

「中国・台湾と向き合う沖縄・八重山」

報告者:三田剛史先生

     2011年度アフラシア多文化社会研究センター公募研究員

     二松学舎大学国際政治経済学部非常勤講師

日時:2012年7月21日(土)11:00~13:15

場所:龍谷大学大宮学舎 清風館301共同研究室

 

第1回研究会では2011年度の公募研究員を務められた三田剛史氏に、現代の沖縄は中国・台湾をどう見ているのか、そして尖閣問題や振興策としての中国人向けのビザ発給を沖縄・八重山の住民はどう受け止めているのかといった問題について、聞き取り調査からみえてくる実情を報告していただいた。

 

三田氏によると、聴き取りの結果、一般の沖縄の人々の意識の上では中国と台湾をあまり政治的に区別してはおらず、どちらに対しても友好的な姿勢なのだという。とはいえ、そうした友好的意識は基地問題をめぐる反米意識への反作用によるのではなく、アメリカとの間にも友好関係を築きたいと考えているそうである。沖縄県民は反基地ではあっても反米というわけではないからである。尖閣問題に関しても国家同士の外交問題と見ており、沖縄独自の取り組みなどは行っていない。

 

中国・台湾との交流に関しては、2011年5月に沖縄を訪問する中国人に3年間有効のマルチビザの発給開始が決定された。これは沖縄の観光振興のための施策を県が外務省に要望したことに始まるが、外務省の決定は県の予想以上であったという。これを受けて沖縄県は大陸からの観光客呼び込みの様々な施策を行ったが、大陸からの観光客はまだまだ多くはなく、現時点ではマルチビザの発給が沖縄の地域経済振興に寄与しているとは言えないようである。加えて大陸から観光客は、沖縄物産やリゾートよりも免税店やドラッグストア、アウトレットモールなのでの買い物が彼らの最大の目的となっている。三田氏いわく、こうした大陸からの観光客にとっては「沖縄」に行くのではなく、より簡単に行ける「日本」に行っているという感覚なのだという。

 

石垣島では琉球時代から生活様式や食文化などで中国の影響を受けており、住民は大陸に対して親近感を抱いている。たとえば「石敢当」のような中国由来の文物も沖縄の伝統的なものと思われており、また、尖閣問題は漁業関係者以外では一般市民の話題にならないそうである。八重山の華僑はほとんどが台湾出身であり大陸系は少数である。もっとも、八重山の人々は大陸系と台湾系の華僑を区別して考えてはおらず、「中国人」と言いながらも実際に意識されているのは「台湾人」であり、台湾との交流も住民の生活の中では全く自然なものとなっている。

 

また台湾に関しては、植民地期に八重山へ移住した台湾人の多くが戦後も残り、その多くはすでに日本に帰化している(2世、3世では9割が日本国籍)。台湾からの移住者は、かつては「タイワナー」と呼ばれ差別されることもあったが、事業で成功した台湾人もいる。現在では、言語的にも日本語を母語とする人が大半となっており、地域社会に融け込んでいるそうである。ただ台湾人たちのコミュニティでは、祭祀などの伝統も受け継がれており、台湾人同士では台湾の言葉を話すこともあるが、2世、3世は日本語で教育を受けているため台湾語は廃れているそうである。そのため言葉を学習する若者も増えているが、そこでは台湾語ではなく教材の充実している北京語が学ばれているという。

 

他方、与那国島では紙銭を焼くなどの中国と共有する風習や食文化はあるが、歴史的には大陸との交流はあまりなく、主に台湾との関係が深かった。日本による台湾の領有後にはすぐ隣の台湾と人、モノ、情報の流通が始まり、鰹節や豚肉の輸出、与那国の子供たちの台湾での丁稚奉公、台湾からの日用品や台湾経由の日本文化の流入があり、与那国島は日本と台湾の往来の間で繁栄した。しかし戦後には台湾と与那国島との間にひかれた国境線により交流は衰え、与那国は今なおその寂れから浮き上がれずにいるという。現在では与那国が不開港ということもあって、経済的な交流には制約が多い。

 

とはいえ与那国島と台湾との交流が全く失われたわけではなく、1970年ごろまでは台湾漁民が与那国に手続き無く上陸し民家で休憩することもあった。1982年に与那国町と台湾の花蓮県が友好提携を締結して以来、与那国の中学生のホームステイ事業のような交流が長年続けられている。最近では小学校同士のスカイプによる交流や中学生の台湾への修学旅行が始まったが、興味深いことに、小中学生の交流はすべて英語で行われているそうである。

 

国際関係の視点から見るとき、沖縄は日中間の摩擦の主たる現場の一つである。与那国の郷土史家によると、世界の片隅にある与那国島も国際情勢と無関係ではないという。たとえば中国が台湾に向けて威嚇発射したミサイルの落下を与那国の漁民が目撃するなど、与那国は中台の軍事対立が身近に感じられる場所なのである。しかしながら、沖縄県では一般的に中国を脅威とはとらえておらず、中国・台湾に対しては歴史的に親近感を持っており、友好関係を望んでいる。明清両王朝と琉球王朝との朝貢関係も、しばしば言われるような「朝貢国=属国」という上下関係ではなく、文化圏をともにする地域・民族同士のより水平的な関係としてとらえられる必要があるという。このように、大陸、台湾、琉球弧の国境を越えた交流圏が歴史的かつ現実的に意識されていると三田氏は強調した。

 

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