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第2回アフラシア国際シンポジウム(Phase 3)----"Subjectivity in International Relations"----を開催しました。

活動報告
2017/02/27

開催日:2017/2/11

開催場所: 龍谷大学 深草キャンパス 和顔館 3階

共催

・龍谷大学アフラシア多文化社会研究センター

・日本学術振興会 科学研究費助成事業基盤研究(A)課題番号15H01855(代表者:清水 耕介)

 

第二回アフラシア国際シンポジウム

The Second Afrasian International Symposium

“Subjectivity in International Relations”

 

登壇者:

Chih-yu Shih (National Taiwan University)

Alan Chong (Nanyang Technological University)

Hitomi Koyama (Johns Hopkins University)

Jungmin Seo (Yonsei University)

Kosuke Shimizu (Ryukoku University)

Yasukatsu Matsushima (Ryukoku University)

Ching-Chang Chen (Ryukoku University)

Eiichi Hoshino (University of the Ryukyus)

Atsuko Watanabe (The University of Warwick)

 

Chair:

Josuke Ikeda (University of Toyama)

Kohei Wakimura (Osaka City University)

Discussant:

Akio Tanabe (The University of Tokyo)

Takeshi Hamashita (Ryukoku University)

 

 

DSC_0013.JPGのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像2017年2月11日(土)、龍谷大学深草キャンパス和顔館において、アフラシア国際シンポジウム“Subjectivity in International Relations”が開催された。今回のシンポジウムは、国家中心主義的な国際関係論のもとで想定されている主体のイメージを問い直そうとするものである。これまで龍谷大学アフラシア多文化社会研究センターは、国民国家を主要なアクターとして認識する従来の国際関係理論に対して、多様なアクター間の相互作用から生み出されるグローバル社会の力学とそれに適合しうるガヴァナンスのモデルを構築するために、国際関係学、歴史学、思想・哲学、地域研究など、領域横断的な視点から研究活動を積み重ねてきた。今回のシンポジウムは、国内外で活躍する研究者を招聘し、こうした研究課題について国民国家単位の認識を生み出す背後にある「存在論」という観点から、既存の国際関係理論において前提とされている「主体」の問題に迫ろうとするものである。

 

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まず、国立台湾大学より招聘したChih-yu Shih氏が“Teaching Asia for the West”という論題で基調講演を行った。Shih氏の講演は、ポスト西欧型の国際関係理論によって、異なる文化的背景を持つ人々の間の相互理解をいかに促進することが可能かについての視点を提示するものであった。グローバル社会のなかでの中国を中心とするアジア諸国の勃興は、国際関係理論の重心を単に西洋からアジアへと移行させるのではなく、異なる文化的背景を有する人々の間で新たに関係性を形成し直すための存在論へと視点を向けさせる現象である。したがって、西欧からアジアへという流れのなかで、アジアをこれまで傍流に置かれてきた地域として表象するのではなく、また、これまで支配的であった西欧的な関係性理解を相対化するだけではなく、ポスト西欧がポスト・アジアを同時に引き起こすことを理解したうえで、新たな関係性を形成するプロセスを始動しなければならない。それは、これまで「ヨーロッパ」や「アジア」と呼ぶことで理解されてきたアイデンティティを、新たな関係性構築のプロセスのなかに位置づけなおし、再定義することを意味するだろう。このために、国民国家単位で切り取られた既存の国際関係論が前提とする認識論ではなく、その認識論を問い直すために、ダイナミックな関係性を可視化させる存在論について考える必要がある。

 

 

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Panel 1——“Subjectivity of International Relations”——では、4人のパネリストによる発表が行われた。Alan Chong(南洋理工大学、シンガポール)は、“Appealing to Humane Capitalism as the International Relations of Economics”と題する発表を行った。Chong氏は、既存の国際関係理論における資本主義経済の理解の仕方が政治経済学的に経済メカニズムのみを焦点化することによって、経済の動きが一元的に扱われることの問題点を指摘した。そのうえで、国際関係理論は、いわゆる「社会資本(social capital)」の視点に依拠して、特定の地域固有の経済活動のなかで形成される人々の関係性を包含していかなければならないとした。Chong氏は、そのモデルとなる経済の見方の例として、16世紀のポルトガル人使節であったトメ・ピレスと元マレーシア首相のマハティールを取り上げた。彼らに対する歴史的評価について、ネガティヴな見方もありうるが、社会資本に埋め込まれた経済活動を理解するための視点について、両者は、地理的に多様に広がる経済活動とそれを支える社会正義についての感覚を——ピレスの場合は見聞録として、マハティールの場合は政治家として経済政策を主導するなかで——後世に伝えている点で注目に値する。

 

 

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次に、Jungmin Seo (延世大学、韓国)は、“Indigenization of International Relation Theories in Korea and China: Tales of Two Essesntialisms”と題する発表を通じて、西欧型の国際関係論が、中国や韓国において歴史的にどのように輸入されたのかを問う必要があることを明らかにした。Seo氏によれば、ハンス・モーゲンソーの『国際政治』(原著1948年)が1990年代に翻訳されていく背景には、国際関係論を自国の外交戦略を確立するために利用するという目的があった。国民国家を基盤とする見方は、両国の政治家や専門家が有する目的や認識に基づく翻訳を通じて再生産されているのである。韓国の場合は、アメリカの国際関係理論の強い影響下のもとで、自国を国際社会のなかで固有の位置づけを占める単一の国家と見なすための道具立てとして国際関係論を輸入してきた。また、中国の場合は、儒教のような宗教的・文化的な枠組を静的なものとして表象しながら、自らを独自の文明国家として理解するために、国際関係理論が併用されてきた。国民国家単位で構築された国際関係理論は、国境を越えた翻訳や理論的注釈を通じて、国民国家システムというヘゲモニーを強化することを促してきたのである。

 

 

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小山仁美 (ジョンズ・ホプキンス大学、アメリカ)は、“'We, the people': On the Necessary and Inadequate State of Identity in Post-Postwar Japan"と題する発表を行った。近年、日本において噴出している国家間の歴史問題を取り上げ、そこで国民国家を基盤としたアイデンティティを前提として問題が展開していることを問題視したうえで、国際関係論は、いかなるかたちでアイデンティティ・ポリティクスを理論的に組み込むことが可能か。日韓両国の間の慰安婦補償問題に見られるように、それが国家間の問題として理解される場合、そこでは依然としてアイデンティティをめぐる問いが、「国民」という統合的な単位を優位に置くかたちで、加害‐被害図式が理解されてしまっている。また、日本と韓国という国家間の相互理解を推し進めようとするリベラルな見解においてさえも、「韓国人としての女性」という見方が依然として強い。国家間に存在するアイデンティティの分断を乗り越えるためには、そういった政治的問題に対して、女性の傷ついた経験に寄り添いながら、国民国家の枠組から距離を取った相互作用が生み出されなければならない。

 

 

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清水耕介氏(龍谷大学、アフラシア多文化社会研究センター長)は、“Beyond the West and the Rest: Intellectural Tradition of Japanese Philosophy"を通じて、国際関係論における国民国家を前提とした理論構築を問題視するだけではなく、西洋/東洋の二分法を前提として理論が形成されていることを問題として取り上げた。ポスト西欧的な国際関係論を探求するにあたって、「東アジア」の価値を軸に据える学派が台頭したが、ここでは、世界秩序を理解するにあたって採用されてきた西洋/東洋の二分法が再生産されてしまっている。歴史を振り返ってみれば、日本の戦間期における京都学派の哲学や「近代の超克」の議論も、西洋的な世界秩序の論理を乗り越えるために、「東洋」の価値の意義を見出そうとするものであった。あるいは、自由主義的な国際関係理論でさえも、グローバルな相互性を強調する一方で、西洋と東洋の二分法を前提として受け入れ、それに基づいて相互依存関係が深化するという国際秩序観に依拠する傾向がある。

 

 

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第2部のパネル——IR and Margins——でも4名のパネリストが発表を行った。渡辺敦子氏(ウォーリック大学、イングランド)は、“Daitoa Chiseigaku and its Geopolitical Imagination of a Bordarless World: A Neglected Non-Western Rebellion without the Subject?"という発表タイトルのもと、日本と西欧の間に横たわる国際秩序認識の違いを、地政学と「国家」という概念の歴史的形成過程を辿ることによって明らかにした。ドイツを中心として形成された地政学という分野は、国家を一つの有機的な統合体として捉えるものであった。だが、戦前日本へと輸入された地政学的な理解では、国家は国境を越えて地域的な広がりを持つという理解に変容した。それが、第二次大戦期の「大東亜共栄圏」という構想に結びつく。歴史に着目するならば、「国家」についての客観的な定義は存在しない。境界線を持つ政治的共同体についての理解は、実際のところ政治的に決定されるのであり、ポスト西欧型の国際関係論を探求するためには、自然に引かれたように見える境界線に対いては敏感にならなければならない。

 

 

 

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Ching-Chang Chen氏(龍谷大学)は、“From the Margins of Nation-State to the Forefront of an Asia-Pacific Century? Okinawa-Taiwan Relations Revisited"というタイトルのもと、国家中心主義に規定されている国際関係理論から捨象されてしまう非国家的なアクターの間の関係について発表を行った。領土問題のような政治的イシューにおいて、あらゆるアクターが政治的な利害を持って関与するわけではない。実際のところ、非国家的なアクターが国家を中心とする政治領域に巻き込まれてしまう背景には、主権国家の領土的な利害という歴史が存在する。例えば、19世紀後半の琉球と台湾の現地人の間で生じた「牡丹社事件(琉球漂流民殺害事件)」に際して、現地人の間の問題を利用して日本政府がその影響力を琉球と台湾に伸張させたことによって、現地人の間の問題は「国際問題」となった。尖閣諸島の領有権をめぐる問題においても、周辺の沖縄、台湾、中国などの漁師の人々にとっては、主権の問題ではなく、彼らの生業において生じる軋轢の問題である。こうした問題の解決のためには、政府の介入によって主権問題に発展させるのではなく、非国家的なアクター同士の協調関係の構築という視点を導入する必要がある。

 

 

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星野英一氏(琉球大学)は、“Two Level Games and Intergovernmental Relations in a Postcolonia Complex: the Case of Okinawa"という発表を行い、日米の安全保障レジームのもとで不公平な位置に置かれている沖縄が、国際秩序のなかでどのようにアクターとして振る舞うことができるのかを問うた。在日米軍基地の70%以上が沖縄に集中し、それに伴って米兵による少女暴行事件(1995)、うるま市強姦殺人事件などの多数の暴行事件を通じて、現地住民の人々の日本政府と米軍基地に対する不満が募ってきた。星野氏は、沖縄県は、日本政府と海外政府の双方向に交渉を展開することに加えて、海外の市民との連携を通じて、その交渉過程がうまくいくように働きかける戦略を採用する必要があると強調する。星野氏は、国内外の政府機関への働きかけと国外の市民への働きかけを包括する交渉過程を「Two level game」と呼ぶ。しかし、同時に星野氏がしてきするように、沖縄が歴史的に被ってきた植民地的な支配が継続されていることによって、この交渉過程を円滑に進めることができていない。

 

 

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松島泰勝氏(龍谷大学)は、“Why is the Pursuit of Asian IR Inseparable from the Independence of Ryukyu? On the Necessity of Liberating Ryukyu from the Japan-US Security Alliance"というタイトルで、琉球が従属させられている政治経済学的な構造に関する発表を行った。大国同士の関係を中心とする国際政治学ではなく、地域的な調和を東アジアのレベルで実現していくためには、実践的な政治の場での自治権の回復を実現していくなかで、既存の大国間の関係を中心とする国際政治理論を見直していく必要があることを主張した。そうした理論的な再考のための実践の場として、琉球が歴史的・政治的に置かれてきた従属的な位置を見直していくことがとりわけ重要であるということが強調された。琉球を国際政治における地政学的な要衝地として捉える保守的な見方は、その反面として、琉球が日米の安全保障レジームのもとで従属的な位置づけを強要されてきたことを黙殺してしまい、琉球が独自の道を歩む可能性の芽を摘んでしまうことになる。

 

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DSC_0180.JPGのサムネール画像のサムネール画像(左写真)パネル1で司会を務めた池田丈佑氏(富山大学、左)と討論者の田辺明夫氏(東京大学、右)

(右写真)パネル2で司会を務めた脇村孝平氏(大阪市立大学、左)と討論者の濱下武志氏(龍谷大学、右)

 

このように、本シンポジウムでは「国際関係論における主体性」というテーマのもとで、様々な観点から主体性についての認識を問い直す試みが示された。大枠として、従来の国際関係理論では、主体が国家主権の空間内部に位置づけられてしまい、実際に境界線を越えて繰り返される接触から生み出されてくる重層的で越境的な社会形成の力学が見落とされてしまうという点は、全体として共有されていたように思われる。境界線は、その力学を統制的に観察するために持ち出されてくる暫定的な概念にすぎない。「主権国家」、「ヨーロッパ」、「アジア」などの分析概念は、グローバルな社会関係を明らかにすることにとって決して特権的ではない。グローバル社会への新たな見方を構築していくためには、境界設定された諸概念に還元されないダイナミックな人々の間の相互作用を中心に据えることが重要である。

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