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第5回研究会「新たなガバナンス論構築のためのアジア研究とアジア型国際関係論による共同研究」 基盤研究(A)(アフラシア多文化社会研究センター共催)を開催しました。

活動報告
2016/07/12
  • 日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 基盤研究(A)15H0185 研究代表者:清水耕介

「新たなガバナンス論構築のためのアジア研究とアジア型国際関係論による共同研究」

  • 共催:龍谷大学アフラシア多文化社会研究センター(Phase3)

 

 科学研究費助成事業 基盤研究(A) 

「新たなガバナンス論構築のためのアジア研究とアジア型国際関係論による共同研究」

(アフラシア多文化社会研究センター共催) 

第5回研究会

 

日時: 2016年7月2日(土) 13:00~17:00
会場: 龍谷大学 深草学舎 和顔館 4階 会議室2
 
=============プログラム(予定)===============
 
13:00~14:00 脇村孝平氏(大阪市立大学大学院経済学研究科教授)によるご報告
       「南北問題」再考-経済格差のグローバル・ヒストリー- 
 
14:00~14:30 質疑応答
 
14:30~15:45 休憩
 
15:45~16:30 意見交換
 
16:30~17:00 今後のスケジュール調整など
 

 

====================================

 

7月2日(土)、龍谷大学 深草学舎 和顔館4F 会議室2において、科研費助成事業(龍谷大学アフラシア多文化社会研究センター共催)の第5回研究会を開催した。今年もいよいよ夏を迎えた京都、当日は少し歩いただけでも吹き出る汗を拭いながら、科研の研究分担者や龍谷大学のアフラシア研究センターの研究メンバー、また学部性や大学院生などが会場に訪れた。

 

今回の研究会では、脇村孝平教授(大阪市立大学大学院経済学研究科)より「『南北問題』再考:経済格差のグローバル・ヒストリー」と題して1時間程度の報告をしていただいた。脇村教授は、アジア海域ネットワーク論で著名な杉原薫教授の門弟であり、インド・デリー大学デリー・スクール・オブ・エコノミクスへの留学経験を持つ経済史家である。

 

アフラシア多文化社会研究センターおよび「新たなガバナンス論構築のためのアジア研究とアジア型国際関係論による共同研究」(基盤研究A)は、国民国家を主軸とした国際社会の関係性に対する認識の前提を問い直すために研究活動および研究会を積み重ねてきた。この度の脇村教授の報告は、その目的に対して世界経済史の領域からアプローチするものである。 

 

脇村教授の直接の関心は、報告の副題からも伺えるように、経済格差を伴う世界経済の不均衡な発展がなぜ生じるのかについて問うところに置かれている。また、そのとき、経済格差は、国民国家間の問題としてではなく、国家を超えた地域・グローバルのレベルを規定する環境的かつ構造的な要因から生み出される問題として扱われる。したがって、その問題は、「経済格差のグローバル・ヒストリー」という方向で論じられることになる。

 

今回の報告の出発点は、なぜ近年「南北問題」という言葉があまり聞かれなくなったのかという疑問である。「南北問題」、あるいは「南北格差」という言葉は、世界経済における経済発展した「北側」(主に欧米諸国やロシア、日本)と発展途上にある「南側」(ないしは「第三世界」)という軸で、世界経済における格差を指すものとして使われてきた。

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「南北問題」は、1950年代から60年代にかけて使われ始めた言葉であり、その背景には、当時、国連貿易開発会議(UNCTAD)に際して提出された「プレビッシュ報告」(1964年)が示した「交易条件の悪化」という見方がある。「プレビッシュ報告」においては、外貨取得のために一次産品生産・輸出に依存する国が「南側」と位置づけられる。また、そうした国は、価格の低下の圧力に晒され、また輸入超過によって外貨取得が困難となり、交易条件として不利な立場に置かれることになるという世界経済の構造上の問題が指摘された。

 

また、同様に、プレビッシュととに、ラグナー・ヌルクセ(Ragnar Nurkse)などは、「輸出ペシミズム」論を展開した。19世紀の国際貿易の文脈において「成長のエンジン」となりえた一次産品輸出は、20世紀中期の文脈においては、工業化を実現した諸国からの一次産品への需要が弱まるために「成長のエンジン」として機能しなくなる、これが「輸出ペシミズム」論と呼ばれる議論である。

 

このように「南北問題」は、経済史的に見ても、共時的・通時的に必然的なものであるとして深刻に受け止められていたのである。

 

しかし、なぜ半ば必然的なものとして受け止められてきた「南北」という世界を見る軸が近年あまり聞かれなくなったのか。その背景として、国際経済の変動が挙げられる。その国際経済の変動として、主に2つの要因が挙げられる。第一に、製造業を中心とする多国籍企業が「発展途上国」に進出することで、「新国際分業」と呼ばれる新たな局面がおよそ1970年代から世界経済に生じてきたこと。第二に、特に、1990年代からのME革命(Micro Electronics Revolution)・IT革命(Information Technology Revolution)、金融のグローバル化によって、より複雑化したかたちで世界経済に格差問題が分散化されたこと。

 

アジア諸国に目を向ければ、それらの国が新国際分業の状況のなかで輸出志向工業化に経済政策の方針を転換したことによって新興国としての地位を確立したこと、そして、90年代からは冷戦構造の終焉によって、資本主義経済に対するオルタナティヴの可能性が解体したことや、ME・IT革命を通じて、グローバルなレベルでの資本主義経済秩序の形成が加速したこと、また、その状況のなかで中国やインドの世界経済におけるプレゼンスが拡大したこと、これらの要因が働くことで、「南北」という視点はもはや過去のものと理解されるようになった。

 

脇村教授は、以上のような経済変動によって「発展途上国」と呼ばれた地域が国際経済における不利な立場を克服することが部分的にできたということを認めつつも、このことは必然的に「南北問題」の解消に結びつくわけではないと指摘した。アフリカや東南アジアおよび南アジアの一部地域やラテン・アメリカ諸国など、相対的に貧困率の高い地域はいまだに存在しているという現状を見ても、それは明らかなことである。いわゆるBRICSと呼ばれる新興諸国が世界経済の牽引役になるにまで至ったとはいえ、国内の経済格差や世界経済の構造的格差の問題は、それによって完全に解消されてはいない。こうした問題の背景には、交易条件だけでなく、何かしらの環境的制約やそれを背景とした文化的な背景の違いという根深い要因が働いているのではないか。

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交易条件という観点からさらに広い視点へと踏み出すために、脇村教授は、グローバルな秩序変動を視野に収める「グローバル・ヒストリー」における研究の蓄積に目を向ける。「グローバル・ヒストリー」という言葉は、多義的であるとはいえ、世界史を構築する視点としての西欧中心主義を相対化するという意味においては共通の目的が存在する。脇村教授は、「グローバル・ヒストリー」が出てきた学説史的な経緯を、「世界史」→「世界システム論」→「アジア間貿易論」→「東西のグローバル・ヒストリー」という順序で説明する。

 

まず、ここで西欧中心主義とは、西欧の近代化が非西欧世界に徐々に広がるという図式に基づく史観を指す。ウィリアム・マクニール(William H. McNeill)の『世界史』において、この図式は、典型的に採用されている。脇村教授は、そうした近代化理論に基づく世界史の見方を「伝播史観」と呼ぶ。

 

また、そうした問題点を克服するために提起された世界史への視点としてイマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)の「世界システム論」が挙げられるが、この理論にしてみても、西欧で生み出された資本主義システムが非ヨーロッパ世界を包摂していく過程で、グローバルに中核(Core)と周辺(Periphery)諸国の関係が固定化されていくという図式に依拠しているため、議論のパターンは西欧中心主義の裏返しであるとも理解することができる。

 

以上のような表と裏の「伝播史観」を克服する議論として挙げられるのが、杉原薫の「アジア間貿易論」である。端的に言えば、その議論は、歴史的に見れば、アジア諸国にとって対欧米諸国貿易よりも、アジア間貿易のほうが比重が高いことを明らかにするものである。実際のところ、対欧米諸国貿易との関係でアジア世界を見れば、1883年から1913年にかけて、アジア諸国では、アジア内部での国際貿易のほうが成長率が高く、その点でアジア諸国間での貿易の方が重要度が高かったことが分かる。加えて、「ウェスタン・インパクト」(=西欧近代の「伝播」)との関係で言えば、それに対応するための独自の経済的ダイナミズムがアジア地域内部に存在しているということが言える。

 

また、18世紀に遡って、イングランドとフランドル地方の経済発展の度合と揚子江下流域の発展度合を比較し、2つの地域の間に経済発展の格差は見られないとしたのがケネス・ポメランツ(Kenneth L. Pomeranz)の「大分岐」論である。すなわち、当時、2つの地域の間に、生活水準、社会分業の発達、手工業の発展の度合において、有意な差は見られない。こうした対等な経済条件に「大分岐」が生じたのは、18世紀後半からである。その要因として、人口増加や環境資源などの点において制約が強まり、それを克服する手段の有無に応じて、その後の経済発展の道筋が決定されたのである。ヨーロッパは、環境制約を石炭の利用と新大陸の確保によって克服することができた。他方で、中国とインドを中心とするアジア地域では、その環境制約を克服することができなかった。その結果として、19世紀以降、両世界の経済発展の度合に格差が生じてくるというのがポメランツの「大分岐」論である。

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脇村教授によれば、杉原とポメランツなどの議論は、「東西」の視点を持ち込むことで、西欧中心史観を相対化するものであった。他方で、脇村教授の問題関心は、「南北」という世界認識をグローバル・ヒストリーの議論の展開の上に位置づけようとするものであるが、これまでのグローバル・ヒストリーの議論は、「東西」という軸で世界経済史を再編成してきた。

 

このように、脇村教授は、単に西欧中心主義だけでなく、それを相対化するために「東アジア」を軸にする史観をも問題視する。言い換えれば、西欧中心主義だけでなく、「東アジア中心主義」からも脱却する必要があるのである。この点において、「南北」問題を再構築する意義がある。だが、このとき、西欧に対して従属する南側という図式は回避する必要がある。それは、従来の「南北問題」における従属図式を反復することでしかないからである。その代わりに、脇村教授は、「北」と「南」に内在する固有の環境的・文化的なダイナミズムに基づいて、「南北問題」を再構成する方向へと議論を進める。

 

その際、参照点となるのが、「温帯」と「熱帯」という自然条件(エコロジー)に基づく経済活動の性格づけである。まず、脇村教授は、杉原薫による「複数発展径路」論を紹介している。その議論は、温帯である西欧や東アジアと熱帯であるインドとの間の経済条件の違いに基づく経済活動の類型論に依拠するものである。従来のグローバル・ヒストリーにおいて対立させられてきた「西欧」と「東アジア」が、ここでは「温帯」という同一カテゴリー内部に置かれ、それに対して「熱帯」が対置される。熱帯地域は、「生存基盤確保型」の発展径路を辿るとされる。「生存基盤確保型」とは、熱帯地域では水の確保や疾病、自然環境の脆弱さなどがシビアな制約要因として働いており、そのなかで経済活動を行わなければならないということを意味する。そのため、温帯地域のように資本集約型工業化(西欧)や労働集約型工業化(東アジア)とは、別の発展径路を辿ると考えられる。

 

以上のような類型に従って、脇村教授は、温帯地域と熱帯地域の間に19世紀後半から20世紀前半にかけて「大分岐」が生じたしているという見方に注目する。この見方は、開発経済学の元祖であるアーサー・ルイス(William Authur Lewis)の議論に基づいている。南北の「大分岐」という場合、温帯地域と熱帯地域において、同様に一次産品輸出を行われながら、なぜ温帯地域の植民地が工業化を遂げることができた一方で、熱帯地域の植民地では一次産品輸出が固定化されたのかという問題が浮上する。たとえば、温帯地域の国々の労働者たちが高い所得を得ることで、需要が生まれ、その結果として、工業化と都市化へと結びついが、熱帯地域の労働者は低賃金労働者として働き、需要が高まらず、結果として、二地域間の労働者の賃金格差が経済発展の大分岐をもたらしたと考えることができる。

 

だが、脇村教授は、熱帯地域内部にも自然環境の差異があるのも確かであることに注意を促している。南アジアや東南アジアの熱帯地域は、明らかにサブサハラ・アフリカにおける自然環境とは、水の確保や輸送条件の点で異なっている。したがって、単純に温帯/熱帯の二分法による地理的決定論によって、南北という認識の背景を規定することはできない。

 

しかし、少なくとも、「南」の固有性を追求することで、これまで「東西」という認識論的な枠組内部に限定されてきたグローバル・ヒストリーの視点を開くことができるのは見通しとして確かなものがあると言える。

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そもそも本研究会の大きな目的の一つは、既存の国際関係理論における西欧中心主義および国家中心主義的な史観を問い直すということである。この点で、経済史の文脈からのグローバル・ヒストリーの試みは、ウェストファリア条約を始発点として国家間システムが誕生し、近代国民国家システムがグローバルに広がるという歴史的な経緯という史観を前提としがちな国際関係理論における歴史的な観点の欠如に対する批判として国際関係理論に組み込みうるものであり、国家間システムを自明の前提とした理論構築のあり方を問い直すという点において意味のある視点を提示している。

 

その際に、グローバルに通用しうる一般的な概念——今回の報告会においては「南北問題」——に対して、そうした概念が背景にもっている歴史的・地域的な個別性とそれらの間の絡まり合いに焦点を当てる必要がある。

 

以上のような共有された問題関心を背景として、脇村教授の報告に対して会場からは、多くの質問が寄せられた。主に、4つの論点が提起されたことをここでは指摘しておきたい。すなわち、

①「南北」という軸に収まりきらない歴史的・地域的な個別性をどのように捉えるべきかという問題、

②「南北問題」という軸で論じることができる経済格差のグローバルな歴史性の問題だけでなく、昨今の世界経済において問題化している金融資本主義が生み出す富の偏在という経済問題のグローバルな歴史性を考えることも可能ではないかという問題、

③各地域の経済政策や経済水準を左右する条件として、エコロジカルな条件だけでなく、国際政治経済の文脈に対応するなかで形成されてきたものとして見ることもできるということ、

④そもそも「南」や「北」、「西欧」や「アジア」というふうに私たちが半ば無意識に使用している概念の問題を同時に考えていくことの重要性、

 

である。以下は、それぞれの疑問点の簡単な内容説明である。

 

「南北」という軸に収まりきらない歴史的・地域的な個別性をどのように捉えるべきかという問題

脇村教授の報告では、グローバル・ヒストリーを読み解く地域的な考察対象となっているのは、ヨーロッパとアジアである。では、同時代的な文脈としてラテン・アメリカ地域における貧困が生まれた歴史的背景をどのように考えるのか。アジア諸国と同様に一次産品輸出に依拠したラテン・アメリカ諸国が中国やインドのように経済成長をすることがなかったのはなぜか。

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また、「温帯」と「熱帯」というエコロジカルな条件を軸として経済的条件の分岐について考察されているが、その二分法に収まらない乾燥地帯や亜熱帯地域をグローバル・ヒストリーへといかに組み込むことができるのか、という問いも提起された。例えば、沖縄(琉球)は、亜熱帯地域であり、また歴史的には中継貿易を通じて経済的な存在感を地域的に示しており、今日においても工業化ではなく、観光などのように規模の経済とは異なる領域で経済活動を展開している。また、日本における沖縄の位置づけに関して、「最底辺の10億人」の問題のみならず、経済を「財」だけでなく、「権原」の問題としてみた場合、経済的に発展しているように見えても、相対的に経済活動の機会を剥奪されている状況も格差として数えることができるのではないかという議論がなされた。

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金融資本主義が生み出す富の偏在という経済問題のグローバルな歴史性を考えることも可能ではないかという問 題

日本でもトマ・ピケティの『21世紀の資本』がブームになったことからも分かるように、経済格差の問題は、資本の流動性がもたらす所得分配の格差であるという視点が定着しつつある。こうした問題は、「南北問題」とは異なるレベルでの経済格差の問題として位置づけられるが、南北問題のグローバル・ヒストリーは、資本の流動性の問題といかに接合しうるのか、そうした疑問が提起された。

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各地域の経済政策や経済水準を左右する条件としてのエ国際政治経済の文脈への対応

グローバルに見たときの各地域の経済状況は、エコロジカルな条件や労働文化の条件だけでなく、国際政治に対応するなかで採用される政策的な方向性によっても左右される。特に、中国の事例に当てはまるが、第二次世界大戦後の中国の経済状況の展開は、冷戦構造の変容とともに工業化政策を打ち出していったことを考慮することが重要である。国際関係理論に引き付けるときには、このように政治的な文脈をも含めたかたちで経済発展のダイナミズムを捉える必要がある。

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「南」や「北」、「西欧」や「アジア」などの半ば無意識に使用している概念の厳密化の問題

「東西」や「南北」、あるいは「西洋」と「アジア」というように、多角的にグローバルな関係性を捉えることいによって、既存の国際関係理論における認識論を超えることは可能かもしれないが、他方でそれらの地理的な諸概念に実体的な意味合いはないことは明らかである。時代の文脈によって、「西欧」と結び付けられるイメージは異なってくるであろうし、「アジア」という概念となれば、もっと茫漠としている。さらに、各地域の歴史性を同心円的に捉えるとすれば、そこに一定の規則性を見出すことができるとしても、明確に地域間の線引きを行うことは困難になる。したがって、私たちが「世界」と呼ぶものがそもそも何なのかということの認識論を超えた存在論を問い直す必要がある。私たちが無反省に概念を使うことができるのも、何かしらの「世界」を前提としているからではないか。

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以上のように、今回の研究会では、国際関係理論家と経済史家が相互に視点を示し、議論を交わすことで、グローバル社会の総体性を歴史的な経緯を含めていかに理解するべきかという問題意識が最終的に共有された。求められるのは、歴史的な多角性を意識化しながら、世界の見方を硬直した枠組から解き放つことであり、ダイナミックにグローバルな総体性を捉える持続的な試みである。この点で、今回の脇村教授の報告は、没歴史化し、硬直化した国際関係理論に対して、一石を投じ、総体的な視野を形成することを促す刺激的なものであった。

 

脇村教授が報告で使用したパワーポイントデータを以下で参照できます(無断転載禁止)↓↓

脇村孝平氏 2016年7月2日科研研究会報告:「南北問題」再考.pdf

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